仕事で、AI導入を検討している。
一部の調査系の業務にAIを活用できるか、ということで、すなはちはAIを使うことによって仕事がサクサク捗るか、ニンゲンの負担が軽くなるか、ということなンだが
ことAIとなると、“AIでできちゃったら仕事を奪われてしまう”なんて寂寥感をまとうむきがある。
覚えるより紙に書いたほうがラクだとか、手で書くよりパソコンを使ったほうがラクだとか、その類(たぐい)なのに。
仕事を増やしたいのか、減らしたいのか。同程度の経済活動が可能なら後者がよいけれど、AIでできてしまうとその前提が危うい、ということ?
あるいは紙とペンが普及するとき、記憶力のよい人はおなじく寂しく思ったり恐れたりしたのかしら。
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一部の調査系の業務にAIを活用できるか、ということで、すなはちはAIを使うことによって仕事がサクサク捗るか、ニンゲンの負担が軽くなるか、ということなンだが
ことAIとなると、“AIでできちゃったら仕事を奪われてしまう”なんて寂寥感をまとうむきがある。
覚えるより紙に書いたほうがラクだとか、手で書くよりパソコンを使ったほうがラクだとか、その類(たぐい)なのに。
仕事を増やしたいのか、減らしたいのか。同程度の経済活動が可能なら後者がよいけれど、AIでできてしまうとその前提が危うい、ということ?
あるいは紙とペンが普及するとき、記憶力のよい人はおなじく寂しく思ったり恐れたりしたのかしら。
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自治会のお役目で、引継ぎ書のなかに、
返信削除「パソコンのできる人が望ましい。」の一行があって、
確かに、そういう時代かもしれませんが、
高齢者が多くを占める地域の、自治会の事務作業が、
パソコンができる人に偏ってしまうのは、どうなのでしょう?
事務作業のバリアフリーになっていないなぁ・・・、と、
釈然としない思いです。
気力もあって、手書きならばできる人、
いるんじゃないかしら・・・・。
「望ましい」のひとことは制限しないとはいえ受け手には強烈で、気後れさせますよねえ。いっそデジタルでデータ管理をしていて、もうペーパレスで、必須だというのならわかるけれど、そうではなかろうて。
削除使いかたに気をつけたいもの。